コンクールに挑む人
朝Facebookを見てたら、ギター仲間さんで、コンクールに挑む人が自分の赤裸々な思いを語っているのを見つけました。
私は自身の経験から「結果にとらわれずにいい演奏をしてください」とコメントしましたが、彼は「それでも結果を出したいです」とお返事をくださいました。
私はコンクールやオーディションはウン十年前に沢山挑戦し、何度も涙を飲んだり安堵したり情緒不安定になり周囲の人(特に家族)に迷惑をかけてきたので、もうウンザリしているのですが、彼の思いを考えると、「昔は私も結果が欲しかったよなぁ」と懐かしく思い出したりもしました。
そして同時に、数年前に読んだヴァイオリニストの千住真理子さんの著書にあったエピソードを思い出しました。
千住さんが高校に入ったばかりの、初めての授業で、高校の先生がこう言ったそうです。
「あなたたちね、生ぬるい勉強をいくらやっても、そんなの身につくものじゃないのよ!必死になってやらないとダメ。
あなたたちは、今がその時なのよ。必死になるってどういうことかわかる?
がむしゃらにやる、ということよ。がむしゃらっていうのは、もう髪の毛も振り乱して化粧や服装なんてどうだって構わずに目の前のことに没頭する、ということよ。
時間も忘れて、食事もトイレも忘れて夢中でやることよ」
千住さんは12歳でヴァイオリニストとしてプロデビューし、成績が悪ければ落第もあり得る進学校の慶應義塾中学・女子高校に通いながら演奏活動(しかもお師匠様が超絶厳しい方だったそうです)と学生生活を両立させ、慶應義塾大学を卒業して現在プロ中のプロ・ヴァイオリニストとして有名な方ですが、血の滲むような努力無しにはあの音色は出せないものだと思いました。
で、話が逸れましたが、この高校の先生の「がむしゃらにやれ」という言葉、コンクールに挑む彼に伝えたいなぁと切に思いました。
私は彼の後輩だし、年齢も下ですから、直接的には言えないのですが、私が留学していた時に外国の師匠はこう言ったんです。
「日本人はコンクルソの結果ばかり気にするが、何よりも大切なのは音楽が好きという気持ちを持ち続けることだ。日本人のコンテスタント(コンクールの挑戦者)は俺もたくさん見てきたし、上手な留学生も多く見た。だが、楽しんで演奏しているように見えたコンテスタントは一人も居なかったよ。
お前は音楽が好きだという気持ちを永遠に持ち続けろ。その気持ちが、聴衆の心を動かすことも忘れるな」
またまた話が逸れましたが(あらま)、
この言葉もそっくりそのまま彼に伝えたかったです。
私は楽器でコンクールに出たことはないのですが、所謂上位の人に先ず共通していると思うのは「ミスタッチがない・弾き直しがない」という基礎的な瑕疵がないことと、「自分の言いたいことが音楽を通して伝わってくる」ことだと思います。
舞台に出た時のアクシデントを言い訳する人もいますが、少なくともプロはそんなことは言ってはならない。お客様ががっかりします。
もし私が言っていい立場なら…
「心情を吐露する時間があるのなら練習しなさいよ!仕事も休んで食事もしないで、とにかくギターだけ『がむしゃらに』練習しなさいよ!」って叫んじゃうかもしれないけど…
ホントに結果にこだわるのって大事なことなのかな。
今ひとりの(アマかプロかは別として)音楽家として、我が身をも振り返るとともに、彼のことを少し心配に思った季節の変わり目なのでした。