たのしくおんがく。

音楽のレッスン話などを綴っています。

第九の合唱の思い出

大学1年のとき、ベートーベンの交響曲「第九」の最後の合唱のメンバーとして参加したことがあります。

 

 

一緒に参加したメンバーのなかには私のような音楽を専攻する学生ばかりではなく、社会人や、いろんな職業の人たちが、いました。

 

何回目かの練習の休憩時間に、息つく暇もなく楽譜と向かい合っていたオッさんとふと目が合いました。

「いやぁ、譜面が読めなくてねぇ…この音はどう歌えばいいの?」

それがオッさんとの出会いでした。

 

練習室のピアノを借りて、弾きながら歌ってみせたら、「ああ、よく分かったよ!ありがとう」と感謝され、「今夜は僕の奢りだから好きなもん食べな」と食事を御馳走になりました。

 

食事をしながら聞いた話によると、

オッさんは音楽が大好きで、特に歌が好きでその道を志していたにもかかわらず、家業を継ぐ為に道を断念し、地元の合唱団に入って、いつかは第九の合唱団員として舞台に立ち、100回第九を歌うのが夢だと語りました。

「君は幸せだね。親御さんが音楽大学に行くのにお金を出してくれて、きっとプロになるんだろう?頑張って勉強しなよ」と励ましてくれました。

 

 

本番のときオッさんは、清々しい顔で歌いきり、指揮者と私とスリーショットを撮って、御満悦でグイグイ熱燗を干し、「いい夜だぁ〜、今夜は最高だぁ〜」と店中に響く声で叫んでいました(笑)。

 

 

オッさんは年明けの桜が満開のころ亡くなりました。

 

オッさんの奥様によれば、実は彼は末期の癌で、第九の練習は病院から通っていたとのことでした。

「100回第九を歌うのが夢だったとか言ってましたよ」と告げると、「あの人なりの強がりだったんですよ」と泣き笑いし、「eikoさんにはプロにならなくても、音楽を極めて生きていってほしいと申しておりました」と仰ってくださいました。

 

家に着くまで涙が止まりませんでした。

 

 

オッさん、アッチでも第九歌ってるか?

直した音程とドイツ語、間違えるなよ。

 

 

だから第九は嫌いなんですよ、オッさんの笑顔とあの声を思い出して、涙が出てくるもんで。