教えるということ
学生時代にとあるスタジオで、ボーカルコーチの仕事をしていたことがありました。
主宰者の書いたテキストに則って楽譜の読み方や発声を教える仕事だったのですが、生徒さんたちも素直で、だんだんと成長していく姿を見るとやり甲斐を感じました。
留学のため約1年でそのスタジオは辞めました。
その後、私は音楽とは関係ない仕事に就職し、このままずっと教えることはないのだなとぼんやり思っていたら、保育士志望の子のピアノのレッスンを請け負うことになってしまいました。
未知の世界ではありましたが、関連テキストなどを買い漁り、自らも「子どもの歌」の勉強をしながら、なんとかその子が保育士試験に合格したときは心から安堵したものです。
かなり長い月日が経ち、自分は2度目の就職をして、いよいよもって音楽を教えることなんてないのだろうなと思っていた頃、知人の紹介で子どもに歌を教える仕事をすることになってしまいました。
はじめ、子どもたちの歌の音源を手渡されたときは、あまりにもひどくて、暗澹たる気持ちになりました。
なんとか1回レッスンを受けてもらい、基礎から教えたことで、良い方向に進んだかのように見えたのですが、主宰者との方向性が合わず、たった3回で辞めることになりました。
誰が悪いとか言うつもりはありません。
言ったところでどうにかなるものでもありません。
ただ、純粋に危惧したのは、教師がコロコロ変わることで子どもたちが混乱するのではないか、何をやったのかわからないまま終わってしまうのではないかということでした。
こんなことを言ってしまうと身もふたもないのですが、教えるということは対人間である以上、マニュアルがないので、合う合わないが人によって大きく差が出てきます。
グループの習い事とかの指導はとても難しいです。
音楽の演奏という、好き嫌いがある意味はっきりしていて、グループ内でも意欲のある人、ない人、出来る人、なかなか上手くいかない人…達をひとつにまとめることは正直きつい仕事です。
私は一生懸命やったつもりですが、その努力が報われないという残酷なこともあるのだなと身をもって実感しました。
教えることで自身の成長になるということを言う人もいます。
でも、私自身は、(音楽の学校を出たし今でも学んでいるけれど)まだまだ人間として未熟であるから、他人に教えることはしたくありません。
「楽しくやる」スタンスの先生もいらっしゃるでしょうが、「基本を学び実践に活かす」スタンスの自分としては、どうもいろいろな人とのぶつかりあいが多く、疲れます。
マニュアルや主宰者に従って授業を進めなくてはならない環境下では、こちらが努力して指導しようと思ったアイデアや提案も却下されてしまう。
本来感動を産むべきはずの音楽で、無気力な授業を受けた生徒が、音楽を好きになるはずがありましょうか。
いい勉強をしたと、思っています。
私は沢山の恩師から、沢山の愛情と𠮟咤激励を貰って成長してきました。
方針が合わなくなり別れた師もいましたが、みんなとても私を思って育ててくれました。
そんな存在に私もなりたいと思い焦がれましたが、どうも現実の世界は冷たかったようです。
そんな出来事があったから、
もう、人を教えるのはしたくはないです。