たのしくおんがく。

音楽のレッスン話などを綴っています。

ダメなことはダメ

ピアノを教えていた時、ある生徒さんがとある曲を弾きたいと言って楽譜を持ってきました。

 

自発的な気持ちは大事だと思い、暫くその曲中心に指導していましたが、いつまでも始めの1小節を繰り返すだけのレッスンが続きました。

 

これではその生徒さんのためにならないと、ある日断腸の思いで私はこう告げました。

「やりたい曲があるのはいいことだけど、このままではいつまで経っても進まない。この曲はあなたには早すぎる。

譜読みの能力があってリズムも掴めるのなら持ってきてもいい曲もあるけれど、あなたは今それが出来る段階ではありません。

この曲は今日で終わりにしましょう」

 

そしたら、次の日「辞めます」と連絡がありました。

 

 

私は「なんでもいいよー」タイプの教え方はできません。

だって曲にならないじゃないですか。

それを聴かされる人も可哀想じゃないですか。

 

堅苦しいかもしれないけど、基本的な楽譜の読み方や音楽のルールはマスターして欲しいと思うんです。

 

楽しければいい、って言う先生もたくさんいるでしょうけれど、それじゃ生徒さんのためにならない。

私はそう考えました。

 

 

若かりし頃の少し苦い思い出です。

私は「ダメなものはダメ」と言う教師になるでしょうね。

卑屈になるな

先日は久しぶりに人前で演奏をさせていただきました。

 

オンライン飲み会でもちょっとした曲は披露させていただいていましたが、やはりナマでの演奏というものは違った緊張感があります。

 

自分としては、「まだまだかな」と思ったところもあれど、お客さんが感動してくれたのは、とても嬉しいことでした。

当たり前に感じていたことが、ある日突然出来なくなり、徐々に再開できていることの喜びを実感しました。

 

 

のちにスペインの師匠と電話して、「久しぶりの生演奏だったよ」と報告すると、「よかった。それは良かった。スペインでも少しずつ前に進み始めているよ」と喜んでくれました。

私「でも、ミスタッチをしたところがあったよ」

師「そんなことは関係ない。お前の言いたいことが伝わればいい」

私「まだギター持って3年過ぎたばっかだからわかんない」

師「でもお前には蓄積が沢山あるはずだ。もっと自分に自信を持て。日本のプロフェソールだって、お前の成長を理解してくれているんだろう?」

私「言われるけど…ホントに私上手くなってるのかなぁ?」

師「大切なことを教えてやる。お前のプロフェソール達と、俺の言うことは本当だ。お前が沢山の人に聞かれると、いろんなことを言われる、それは当たり前のことだ。だが殆どは雑音だ。

悪いことを言う奴もいる、だがそれが何だ。

いいか、卑屈になるな。そしたら終わりだ。

もし、辛くて仕方なくなったら、俺のところに飛んでこい。俺はお前を10年以上見てきて、お前に才能があることはよく知ってるぞ。

また一緒に音楽しよう」

 

もう少し自信持って歩いて行こうと思いました。

家庭をとるか音楽をとるか

今期のNHKの朝ドラ「エール」がとても面白いので(音楽家を扱っているということもある)、楽しく観ています。

 

今日はヒロインが妊娠したものの、音楽学校の記念公演には出演したい…というストーリーでした。

 

共演者に戸惑われるヒロイン。

 

プロの先輩歌手にも「プロってのは自分の子どもが死にそうな時でも舞台に上がらなければならない、あなたその覚悟がある?」と言われてしまう。

 

 

昔も今も女性にしかわからない難しい問題だなぁと思いました。

 

 

大学1年の夏に私は誕生日を迎え、当時付き合っていた恋人から「卒業したら結婚してくれ」と言われたことがありました。

同時に「子どもが欲しい」とも言われました。

 

「私は歌手の勉強をもっとしたいの、大学を出ても足りない。留学をしないとダメかもしれない。だからそれは難しい」と言いましたが「子どもも留学先に連れていけばいい、自分も面倒を見る、子どもは可愛いから複数欲しい」と言う彼に、なにか翳りのようなものを感じました。

 

案の定2年後に関係は破綻します。

 

たぶん彼は自分を「立てて」くれる女が欲しかったんだと思います。

でも私はそれはまっぴらだった。

オペラ歌手の卵として研究所に入所して、ゆくゆくはプリマドンナを夢見ていた私は、恋をしてしまったけど子どもなんかいらない、自分のことで精一杯、と思っていた。

 

男ってなんて分かってくれない生き物なんだろう、と悔しくてならなかった。

 

 

結局、恋もオペラ歌手の夢もなくなりましたが、ありがたいことに留学を叶え、結婚はしていないものの音楽を続けていられるのですから、欲張りなことを言ってはいけないな(笑)、とも感じています。

 

 

16歳のときに読んだ、とあるオペラ歌手の方が書かれた本に「私の人生に、結婚か、歌かと迫られる選択があったならば、私は歌を取ります」という一文がありました。

そのストイックさにクラクラしたのを覚えていますが、まさか自分がそのような経験をするとは思いもよりませんでした。

 

 

プロポーズ(もどき?)を受けてから数十年経ちました。

今は、当時の恋人はおそらく結婚して子どもも何人かいることでしょう。過ぎたことです。蒸し返すのはやめにしたい。

 

私はまだまだ夢を見て、夢の途中でバシバシしごかれることもありながら頑張っています。

結局「音楽」をとりました。

 

おそらくはこれから先、私と人生を共にしてくれる人が居たら、それはそれで幸せ。

でも、たくさん友達がいる、尊敬できる師匠がいる、だからそれだけでも幸せ。

 

 

楽しく人生を送れれば、それで幸せ。

 

ネットの向こうには人間がいる

もう随分昔の話ですが、外国留学&現地の舞台に出演、という垂涎もののチャンス付きのオーディションに参加したことがありました(今はない)。

 

満を持して受けたのですが落ちました。

 

当時の師匠からは「お前が受かると思って指導してやったのに!もう破門だ」と激怒され、拒食気味になり、体重が7キロ落ちました。

 

 

もっとひどかったのは、インターネット上で私の演奏の映像が私の許可なしに流され、沢山の誹謗中傷を浴びたことでした。

「下手くそ」「こんな演奏で留学なんて馬鹿?」「せいぜいライバルの前座で頑張れよ」…etc,etc…

見るに耐えない文章がネット上に散乱していました。

それを思い出しては仕事中も泣き、家に帰っても泣き、職場の人や家族におおいに心配をされました。

外出先で倒れ、救急搬送された病院で点滴を受けたこともありました。

 

 

 

女子プロレスラーの木村花さんが22歳の若さで亡くなられましたが、彼女の苦しみや悲しみ、絶望感を思うと、過去の私を見るようで、とてもとても居た堪れない気持ちを感じます。

 

私はプロレスのことは良く分からないのですが、おそらくたいへん努力家で頭が良く、プロレスを愛していた。そしてプロレスと同じくらい、人を愛していた。

彼女の出ていた「テラスハウス」という番組はよく知らないのですが、その番組がキッカケになってより深い人間性を磨き、それをプロレスにも活かして頑張っていくであろう彼女が、何故こんなことになってしまったのか、とても悲しい気持ちになります。

 

彼女はSNS上で執拗な誹謗中傷を受けていたと、報道にありました。

ツイッターで少し見ると、彼女の死を悼むどころか「死んでくれて良かった」というYouTube投稿まであったようです。

…なんということ(怒)!

言葉を失いました。

 

 

ネットの向こうには生身の人間がいます。

そういう想像力を働かせないヤツが多い気がします。

私がネットで叩かれまくってたときは、あまりSNSって普及してなくて、私への誹謗中傷も業界の人くらいしか見てなかったような感じだったんですけど、今は中高生からみんなやってるから、SNSのイジメって日常茶飯事なんでしょう。

 

 

 

オーディションから数週間後、私はスペインの師匠の元を訪れるために有給を取って旅に出ました。

師匠の顔を見た瞬間、私は子供のように道端で声を上げてわあわあ泣いてしまい、師匠は(日本から私の画像と中傷文を翻訳したものを送っていたので事情は知っていた)そんな私の背中をさすりながら、

「お前はいい歌手で、いい女で、いい人間だ。アレを言ったのは悪いヤツだ。とても悪いヤツだ。必ず地獄に落ちる。必ず苦しむ。お前は苦しまない。俺はお前を愛しているから、日本の大切な娘だから」

と、何度も何度も繰り返し言ってくれました。

 

数日後、師匠は「連れて行きたいところがある」と私を車に乗せて走らせ、音楽の愛好家達のパーティへ連れて行ってくれました。

「日本で歌ったのと同じ曲を歌ってごらん」

「ヤダ!そんな怖いことできない」

「怖くない。お前はいい歌手だ、俺が弾くから、やってみようじゃないか」

 

師匠に誘われるままに歌った私、歌い終えると拍手大喝采が鳴り止みませんでした。

「お前は本場のスペインで認められた。ちっぽけな日本のコンクルソがなんだ。お前の気持ちは伝わった。愛は伝わった。それはとてもグランデ(大きい)なことだ。今夜のことを一生忘れるなよ」と言われ、またまたわあわあ泣いてしまった私(笑)。

なんと、お客様の中には宝石のデザイナーさんがいらして、「アナタにピッタリなネックレスがあるのよ!今夜の記念にプレゼントするわ」と、後日いただいてしまいました。

とても素敵なネックレス、大切にしています。

 

 

 

たくさんの愛情を貰った私は今も元気に生きています。

 

…私はキツいことも言っちゃうかもしれないけど、本質的には人が好き。

だから、愛情を持って、接していきたいと思うんです。

 

(なんか今回も泣きながら書いたなぁ)

 

クリエイティヴは管理からは生まれない

会社の新人研修によく使われている、研修専用学校の合宿っていうものがあります。

 

正式な学校名は伏せさせてもらいますが、YouTubeでその学校名を検索したら、お笑い芸人の人が(言っちゃ悪いけど売れてない芸人さんです)その合宿に参加するという企画の映像がありました。

30分以上かかる長い映像だったんですが、最後まで見てしまいました。

 

 

良い気持ちには絶対にならない、と思いました。

ひたすら大声を出させて(声が嗄れるまで)、受講生を限界まで追い込んでいく。

受講生がしたスピーチの内容に関して重箱の隅をつつくかのような駄目出しを沢山する。

怪我をしても倒れても完走しなければいけない夜間行軍。

 

自主性は潰され、講師からは罵倒され、仲間など居てもいなくても同じよう。

 

あまりのおぞましさに何度も頭痛を感じましたが、この芸人さんがこの合宿に来た本当の目的を知りたいという思いで、きちんと見ることにしました。

 

 

研修の最終日、芸人さんは嗄れた声で叫びます。

「私はこの合宿に来る前、芸人をやめようと思っておりました。理由は小さい子供がおり、嫁の腹にも生まれてくる子供がいるからです。この合宿を卒業してからが本当のスタートだと思っております」

そうだね。たしかにそうだね。

 

でもテレビの企画であったとしても貴方にとってこの合宿は無駄だったよ。

そりゃ崖っぷち芸人っていう話題性だけで一瞬の視聴率は稼げたかもしれないけど、

芸人もアーティストも俳優も、クリエイターは「芸を磨いてこそ」の仕事なんだよ。

客を笑わせられない芸人に意味があるのか。

演技力のない俳優に意味があるのか。

なにより、「自分の創り出したものでお客さんに幸せになってもらいたい」っていう気持ちがなくなって、サディストなオヤジどもに「声が小さい!」とか言われて、言われたまんまのことをやるだけの人間が、クリエイターとして生きていけるのか‼️

 

研究の方向性、大いに逸れまくってんじゃん、と思いました。

 

 

少々気になってその芸人さんの消息をググってみたのですが、3年前には清掃の仕事をしていて、奥様とお子さんは別居生活だそうです。

芸人としては活動をしてはいなかった模様です。

 

 

管理、とクリエイティヴ、は本質的には真逆のものです。

「ああしろこうしろ」と言われ続けた人間が自分のしたいことがわからなくなる(かつての自分にもあったのですが)ことで、追い詰められていき、自分を見失ってしまう。

 

自律心を持った上で、自由に楽しく音楽の道を歩いていくことで、いろんな人に幸せを届けたい。それが私の生きたい方向です。

 

 

ちなみに。

コメンテーターのタレントや芸人には笑っている人も居ましたが、誰一人として「目が笑っている」人間がいなかったことも、この合宿訓練の過酷さを裏付けるものでした。

 

今でも、この学校は、存在しています。

 

 

 

 

苦手なこと

得意なことで人様の前に出ているので、「なんでもできるんでしょう」とか言われますが、

人間ですから、出来ないことや苦手なこともたくさんあります。

 

 

理数系科目は大の苦手です。

小学生の頃、チラリと観たテレビドラマの女医に憧れて「お医者さんになりたい」と某塾の模擬試験を受けたものの、算数と理科が壊滅的に悪く、諦めた経験があります(笑)。

 

中高時代も理系科目は大の苦手で、通っていた塾で試験を受けると国語と英語はかなり良かったのに数学だけダメで、親から「バランスが悪い…」と呆れられる日々。

進学校だった高校は化学の試験で「圧力鍋の仕組みを説明せよ」という試験問題に「おいしいカレーの作り方」を延々と書いて怒られる始末(笑)。

挙句受験生になってからは「数学も理科もやりたくないから」と芸術系進学コースを選びました。

 

どれだけ理系科目嫌いだったんでしょう。

我ながらあきれ返るばかりです(当時の先生方ごめんなさい)。

 

 

料理も出来ません。

包丁の持ち方からおかしいと言われたのは大学時代バイトしていた寿司屋(肌に合わなかった。店長が超パワハラ野郎だった)で、ネタが切れないから途中からシャリ(コメ)担当になって、かなり短い期間で辞めてます。

高校の恩師に言うと「お前には和風のバイトは合わん」と言われました。やっぱり…といった感じです。

 

留学時代住んでいたアパートにあった包丁(ていうか、ナイフ)が思い切り切れ味が悪くて、野菜を切るのにとても力がいるものでしたから、そういう生活様式もあるのでしょうか…

初めてのひとりぐらしがスペインってのも「オシャレでいいじゃない〜」…苦労‼️したよ‼️インスタント食品はまずいし日本から持ってきたフリーズドライ味噌汁が底をついたら土鍋でメシ炊かにゃあかんかったし、それも面倒になってパスタというブツに逃亡したし、毎日パスタか鍋物(ポトフ)。そんな留学時代でした。

 

 

母親は大学が理系でしたし、料理は天才的に上手いので(マジです)、ホントに親子か、と思われるでしょうが、文系で料理苦手な父親に似たのね…。

 

 

このままでは嫁の貰い手がなくなること必至なので、結婚が決まったら(万が一)料理教室に通って花嫁修行しなきゃね♪と思いつつ、そんな日が来るのか?と疑ってもいる、今日このごろなのでありました。

 

 

 

 

YouTubeの罪

仕事しなくてよくなったので、時間が出来てしまいました。

 

なので、昔作っていたYouTubeの自分のチャンネルに動画を上げるようになりました。

 

 

最初は「公開」にしていまして(そのほうが反響も多いだろうと思って)、いろんな方に聞いていただいていたんですが、だんだん「コレあからさまに悪意だろ」って思うような低評価も増えてきまして、YouTubeでお仕事してるわけじゃないけど、さすがにメンタルが疲れてきました。

 

お仕事してるわけじゃないから尚更にグッタリ来て、「何様のつもりなんだろ」と怒りも湧いてきて、精神衛生上よろしくないと思って、すべて公開を限定にすることにしました。

 

 

顔を出し、名前も出しているからリスクも高いので、限定公開にしたのは良かった気がしています。安堵しました。

 

 

承認欲求、というものは人間ですから普通にありますが、人が一生懸命音楽してる作品にケチをつけられてまでそれを得たいとは全く思いません。

ならば私のことを理解してくれるお客様だけに聞いていただければそれで結構です。

 

建設的な意見もなく、ただ無闇に(私のことが好きではないのかもしれませんが)低評価ボタンを押すくらいなら、私もその人の存在を認めません。

 

私は沢山のお客様に聴いて貰いたいとはさらさら思いません。

数は少なくても、私のことを好きで、見守ってくれて、互いに応援や理解がし合える人に、私の音楽は聴いて貰いたいです。

 

嫌いな人を好きにさせようなんて思わない。面倒だし無駄なだけ。

 

私の音楽は私のものです。それを好きになるも嫌いになるも、どうぞご自由に、って感じです。

 

 

私は粒餡食べれないんですけど、好きな人は本当に好きなわけで、それと似たようなものかなとも思っています。蛇足でしたが。