自死ダメ絶対
音楽とは関係ない話です。
食事しながらニュースを見ていたら、俳優の芦名星さんが亡くなられたという報道が流れてきました。
なんだか気分的に落ち込んでしまいました…
芸能界は華やかな世界に見える一方、闇も深いように思えます(詳しくは知りませんが)。
表現者って、人々に夢を与えるキラキラした仕事でありながら、内面は孤独だったりすることが多かったり、相談する相手がなかなかおらず、悩みを抱えてしまいがちな人が多いように思います。
だれか芦名さんの辛さを受け入れてくれる人が居なかったのかなぁ、と思うと悲しい思いもあります。
36年の生涯はあまりにも短過ぎる。
芦名星さんのご冥福をお祈りすると同時に、辛さを抱えた人がその辛さを吐き出せる機関や人がもっともっとこの国には必要なんだろうなと思いました。
自死ダメ絶対、です。
コンクールに挑む人
朝Facebookを見てたら、ギター仲間さんで、コンクールに挑む人が自分の赤裸々な思いを語っているのを見つけました。
私は自身の経験から「結果にとらわれずにいい演奏をしてください」とコメントしましたが、彼は「それでも結果を出したいです」とお返事をくださいました。
私はコンクールやオーディションはウン十年前に沢山挑戦し、何度も涙を飲んだり安堵したり情緒不安定になり周囲の人(特に家族)に迷惑をかけてきたので、もうウンザリしているのですが、彼の思いを考えると、「昔は私も結果が欲しかったよなぁ」と懐かしく思い出したりもしました。
そして同時に、数年前に読んだヴァイオリニストの千住真理子さんの著書にあったエピソードを思い出しました。
千住さんが高校に入ったばかりの、初めての授業で、高校の先生がこう言ったそうです。
「あなたたちね、生ぬるい勉強をいくらやっても、そんなの身につくものじゃないのよ!必死になってやらないとダメ。
あなたたちは、今がその時なのよ。必死になるってどういうことかわかる?
がむしゃらにやる、ということよ。がむしゃらっていうのは、もう髪の毛も振り乱して化粧や服装なんてどうだって構わずに目の前のことに没頭する、ということよ。
時間も忘れて、食事もトイレも忘れて夢中でやることよ」
千住さんは12歳でヴァイオリニストとしてプロデビューし、成績が悪ければ落第もあり得る進学校の慶應義塾中学・女子高校に通いながら演奏活動(しかもお師匠様が超絶厳しい方だったそうです)と学生生活を両立させ、慶應義塾大学を卒業して現在プロ中のプロ・ヴァイオリニストとして有名な方ですが、血の滲むような努力無しにはあの音色は出せないものだと思いました。
で、話が逸れましたが、この高校の先生の「がむしゃらにやれ」という言葉、コンクールに挑む彼に伝えたいなぁと切に思いました。
私は彼の後輩だし、年齢も下ですから、直接的には言えないのですが、私が留学していた時に外国の師匠はこう言ったんです。
「日本人はコンクルソの結果ばかり気にするが、何よりも大切なのは音楽が好きという気持ちを持ち続けることだ。日本人のコンテスタント(コンクールの挑戦者)は俺もたくさん見てきたし、上手な留学生も多く見た。だが、楽しんで演奏しているように見えたコンテスタントは一人も居なかったよ。
お前は音楽が好きだという気持ちを永遠に持ち続けろ。その気持ちが、聴衆の心を動かすことも忘れるな」
またまた話が逸れましたが(あらま)、
この言葉もそっくりそのまま彼に伝えたかったです。
私は楽器でコンクールに出たことはないのですが、所謂上位の人に先ず共通していると思うのは「ミスタッチがない・弾き直しがない」という基礎的な瑕疵がないことと、「自分の言いたいことが音楽を通して伝わってくる」ことだと思います。
舞台に出た時のアクシデントを言い訳する人もいますが、少なくともプロはそんなことは言ってはならない。お客様ががっかりします。
もし私が言っていい立場なら…
「心情を吐露する時間があるのなら練習しなさいよ!仕事も休んで食事もしないで、とにかくギターだけ『がむしゃらに』練習しなさいよ!」って叫んじゃうかもしれないけど…
ホントに結果にこだわるのって大事なことなのかな。
今ひとりの(アマかプロかは別として)音楽家として、我が身をも振り返るとともに、彼のことを少し心配に思った季節の変わり目なのでした。
「あの曲が、弾きたいから」
ときどきなんですがお問い合わせの一つに「◯◯って曲が弾きたいんですけど、どれくらいかかりますか?」ってのがあります。
その人の音楽歴、希望の曲の難易度などを加味して、あとは熱心にレッスンや練習に取り組んでいただけるかを事細かにヒアリングさせていただいて、大丈夫そうならゴーサインを出してレッスンをさせていただきます。
ただ、憧れだけでゴネられる生徒さんもいることにはいます。
そういう人には「この曲は貴方が習っていない技術が沢山出てきますし、不完全燃焼に終わりかねませんから、もう少し基礎的なことを勉強してからにしましょう」と諭すのですが、
「下手と言われようといいんです。曲の中から技術を、学べることもあるじゃないですか。なんとかお願いしますよ」とおっしゃる方もいて、対応に苦慮することもしばしばです。
私は厳しい(?)教師なのでそのようなお願い事はすべて撥ね付けます。
「その音楽を聴いてくださる方の身になってください。曲の中から学ぶならば練習曲をしっかりやってください。想像力の欠如した音楽はただの自己満足です」と突っ撥ね、生徒を一人辞めさせた前科一犯(笑)。
私は、基本なくしてよい演奏は出来ないと思っています。
先生のなかには「好きな曲を持ってきてくださーい」って人もいました。かつてはそんな師に習ったことがあります。
ただ、今の師匠についたらあんまりの基礎力のなさとへんな弾き方の癖がついていたのを直してもらうことで、ホントに弾くのが楽しい。
私は「あの曲が弾きたいんです」という生徒さんには警戒しています。
自己満足がイヤだからです。
生徒さんにもそんな人が多くなるといいなぁ。
教えることの難しさ
去年の夏が終わるころでしょうか、友人達に請われてソルフェージュ(西洋音楽の学習において楽譜を読むことを中心とした基礎訓練のこと、とWikipediaには載ってる)を教えることになりました。
コロナ禍や緊急事態宣言が出た時はお休みをいただいたこともあったのですが、宣言の解除に伴い、感染予防対策をとった上で教えさせていただいております。
受講生の皆さんからは意外な質問も多く、狼狽えてしまうこともしばしばですが師匠にたすけていただきながらなんとかこなしていっています。
とはいえ、小さい頃からピアノに親しみ、楽譜を読むことにあまり苦労しない自分が、楽譜を読むことが難しいと言う受講生の方々にどうすれば上手いこと伝えることができるか、毎回頭を悩ませています。
感覚的にできたことを、理論的に教えることの難しさを実感する日々です。
前回は「とにかく真似てください。なぜ、とかどうして、という疑問は湧くかもしれませんが、私を真似して。間違ったことはしないから」と身もふたもないことを言ってしまい、口走ったその直後に「やっちまった」と冷汗が流れるのが分かりました。
ただ、限られた時間の中で(無尽蔵に時間があるわけではないので)効率的に上手くなって欲しくて、ついそのように強い言葉を発してしまいました。
…大人気なかったな…
「ソルフェージュなんかやって何の役に立つの?」と思う意見もあると思います。
大人から始めるには一見、つまらないことも多いと思います。
ただ、自分の力で楽譜を読んで歌ったりリズム感を身につけたりすると、奏でる音楽がより表現深くなると思うんです。
味わいの出る音楽になると思うんです。
だから、もしご興味を持った方は、是非ソルフェージュ、学んでみてはと思っています。
点数
本棚の整理をしていたら(最近妙に本棚の整理に凝っているんですが)、大学の実技試験の成績表とかいうのが出てきました。
当時私の大学はたいへん意地が悪いのかよくわからないのですが、A4の紙っぺら1枚に「◯点」とか書かれただ・け・の、とてもぶっきらぼうな成績表が郵送されてくるという、そんなシステムでありました(せめて教官の一言アドバイスとかありゃいいのにねぇ)。
今はもっと手厚いのかもしれません。一言アドバイスならぬ「教官全員のアドバイス」とかもあったりして。ああ羨ましい。
…そんなことはまぁいいとして。
サラリーマン家庭の子女だった当時の私は「親に迷惑かけないためにも、奨学金を貰える点数をキープしなくちゃ!」とばかりに張り切って(痛い)いただけに、やはり「満点」でなくては気が済まず、その点数ではなかった結果を目にして、こう宣ったのです。
「わたし、トップでも満点でもなかったから大学辞めるから」。
今考えれば「おいおい!」って話ですが、親に負担をかけさせたくなかったいたいけな(当時)音大生だった私、早くにして才能がないと見きっちゃったんでしょう。
◯回めの家族会議(ゲスト・高校時代の恩師)が呼ばれたのは言うまでもなく(笑)、恩師曰くの「大学の試験の成績ごときで一喜一憂するなんてこの先が思いやられる!」という一喝で、あっさり退学はなかったことになり、その後紆余曲折あったもののなんとか卒業出来ましたとさ…と、いうのはまあいいとして。
宝塚でもそうらしいけど、学校時代の成績程当てにならないものってないらしいです。
だって大学時代卒業演奏会になんか呼ばれなかった(だいたい、大学卒業試験の成績で振り分けられる)けど、一番点数良かった子なんか今何してるか知らないし(つうか大学行ってなかったし)。
超点数良かった子は大学院行って伸び悩んで、音楽辞めたって聞いてるし。
人の人生程分からないものってないです。
だから音大生諸君、成績さえよければ食いっぱぐれないというのは幻想だと思いましょう。
永年実技試験70点台だった、現在OL弾き語リスタのおねえさん(おばさんって言ったやつは前へ出ろ)のエールです。
しかしながら、社会へ出ると、どんな職業であれ、「自分の勉強」に費やせる時間は圧倒的に少なくなるので、せめて学生時代にやれることはやっときましょう。
もしかしたら卒業してすぐに超いっそがしい仕事につかなきゃならないとかあるかもじゃん。
だったら、学生時代に勉強してたことが、役にたつかもしれないじゃん。
おねえさん(かえすがえすもおばさんって言ったやつ前へ出ろ)からのアドバイスはそんなところです。
これってコンクールで優勝した人にも同じこと言えるんですよね、だって毎年一回(乃至は何年に一回)必ず開催されて、何十人もの「優勝者」を輩出してるその「優勝者」サン達が、その後ホントに幸せな人生送れてるんでしょうか。
そんなん、その人の努力と音楽への愛次第やろ。
それを思った瞬間&審査員がどれだけコンクールの出場者に愛があるかないかが分かった瞬間、自分、コンクールの応募もやめてます。
自分の音楽は、自分を愛してくれる人、ファンの人、自分を高めてくれる人、そのいずれかに該当しないお方には聞いていただく価値はないと思ってますので。
こっちだってマジなんですよ。
聞いてくれる人も、マジになってくださいよね、って、思うのが、精いっぱいなのでありました。
照ノ富士の優勝について
SNSの友人の投稿より。
「照ノ富士、5年ぶり二度目の優勝おめでとうございます。
いち時は大関から序二段まで落ち、今場所幕の内に復帰、膝の手術3回、内臓疾患もあり何度も親方に相撲を辞めたいと相談、親方はしっかり治療して再起をアドバイスした。
沢山の人から励まされ応援してもらい、この人達に恩返しせねばと再起を誓った。
心の底から笑える日が来たのである。
解説の舞の海さんは「一度どん底を見た事が、冷静に相撲が出来たのではないか」と勝因が
心の成長だとコメントしておられました。」
目頭が熱くなるのを感じました。
自分も例外ではなくこれまでの道は険しかったからです。
幾度もの挫折、失敗、パワハラセクハラなどなど…で、親から「もう辞めていいんじゃないの」と言われたことは数多く、それでも自分にはこの道しかない、としがみつきやってきました。
音楽を辞めていたらたぶん結婚をして、両親に孫の顔を見せることができたかもしれないのですが、その道を放棄し、今でも学びを深めている理由は、
飽くなき好奇心と諦めの悪い人柄にほかないのかもしれません。
自分は若い人が自分と同じ道を歩きたいと言ったら、「やめときな」と言います。
なぜならばそう言われたぐらいで凹むようなヤワな精神ではこの世界はやっていけないからです。
安易なノウハウだけではやっていけないのがこの世界です。
自分を知り、良き師につき、誰に何を言われても直ぐに立ち上がる強靭な精神力と体力が必要だと私は考えています。
照ノ富士さんには、それらがあったからこそどん底から這い上がれたのだと思いました。
素晴らしい人間力と思います。
自分も彼の生き方に倣って益々の精進を重ねたいと思うのでした。
懐かしの音大生活〜継続は力なり⁉️
本棚の整理をしていたら漫画「のだめカンタービレ」が出てきて、つい手を止めて見てしまいました(笑)。
でも「成績優秀なイケメン男子学生」は常にいるわけではありませんので、皆様誤解のなきようにお願い申し上げます(笑)。
卒業してから早◯年経ちましたが、音楽と今でも関わっている我が身としてはつい昨日のことのように思い出すものです。
学生食堂の350円もする割に量が少なく肉も少なかった「高い・マズイ・少ない」牛丼とか。
400円もするのに具が気持ちばかりの牛肉(小さい)しか入ってなくてサイドメニューは野菜サラダじゃなくワカメスープだったカレーライスとか。
タレコミ情報によりますと今では350円でワンホールピザ(マルゲリータやらクワトロフォルマッジやら)が食べられるそうですー💢‼️羨ましい‼️
ただ、正門から200メートル先にファミリーマートがありまして、食べざかりの男子学生はそこでメシを調達していたという(笑)。そりゃ高いマズイ少ない牛丼なんて意味ないですよね(笑)。
…かえすがえすもいまの学生さん達が羨ましくてなりません。
音大というと「華やか」とか「金持ってそう」とかいうイメージをされる方もいらっしゃるかと思いますが、人によるんですね。
お金持ちの家の子はやっぱりブランド物のバッグとか持ってて服もキレイでため息ものですが(ピアノや弦楽器系に多い)、地方から出てきて生活費をアルバイトで稼ぎながらレッスンに励む(管楽器系に多い)子もいました。
あとは友達やら恋人やら教授やらとケンカして「こんな大学は嫌だ‼️」と海外に逃亡する輩も…あら?聞き覚えがあるって?
…まあ、懐事情は人それぞれです、人生いろいろ。
学費は美大より高く医学部よりは安いと一般的に言われていますが、これも音大により差が大きいです。
今は少子化なので多少は安くなっているでしょうが、それでも…「高い」というイメージはあることでしょう。
学費だけでは済まず、課外レッスンや語学学校(音大にも語学の授業はあるが正直外国語学部よりはヌルい)などにもお金がかかります。
発表会や演奏会に出るとなると女性の場合衣装代も必要です。
…だからシコシコバイトしてたのさぁ…(笑)
かなりのお金をかけて4年間学んでも、まだ勉強が足りないと留学する人や大学院・専攻科に進む人(就職したくないって理由もあるかもしれないけどさ)、バイトしながらレッスンに励む人もいる、と思います。
でも私が知っている同期の殆どは音楽を辞め、結婚して出産しておかあさんになりました。
男の子は、音楽を辞めて異職種に就いた子もいます。
人生はその人のものだから、そのことを否定するつもりは全くありません。
私はまだまだ勉強が足りないと思って結婚にも耳を貸さず音楽に励んでいますし、子どももおりません。
どんな人生が幸せかなんてそんなものはわかりません。
結婚したから幸せかっていうと必ずしもそうではないところもあります。子どもに関してもそうかもしれない。私はどちらも経験していないから、憶測ですが。
ただ、ひとつだけ言えるのは、
両親が自分の洋服一枚も買わず贅沢もせず、一生懸命に働いて私の音大の高い学費を払い続けてくれたことに、ほんとうに感謝しているんです。
娘のワガママをかなえてくれたことに、感謝していますが、やれ今でも「今日は演奏会だ」だの「レッスンだ」だのという大きくなりすぎた娘を、どう思っているのかな、ということだけです…。